評論
OGATA の彫刻
「Pietra cavat guttam」 Giorgio Di Genova 1982年 10月
「石で滴を刻む」 ジョルジョ・ディ・ジェノバ イタリア美術評論家
写実主義経験から出発したオガタは造形思想の本質に照準を合わせ図形幾何方式を徐々に捨てて行き、そして確実かつ急速にその本質に近づいて行く。こうして人間や自然により構成された実存する現実の記憶を大理石や一般石の中にその形が閉じ込められているかの様に、最初からトーテム的な彫刻や対話的形状に関心を持ちながら、遭遇の観念、しかも人間実存そのものを自然の生命循環に例えた途切れる事のない循環運動を暗示的に表現している。
オガタは数年来「生命循環(生々流転)」を対象に形態・様式を変えて造形的隠喩の持続包含をもたらすよう研究し続けている。大洋に流れ落ち蒸発作用により、水滴を再び形づくる天空へ戻っていき、そして新たに又海へ落ちていく運命にある水滴の発想動機は以前オガタが生々流転の隠喩として選んだモチーフそのものである。
水滴は象徴的には子孫と言う観念に結びつける事が出来る。そして繁殖種子液滴は、もう一つの液体、フェレンツェが自作タラッサの中で、大洋の中に最初の生命形態を生成した様な宇宙の自然状態を自分の中に再生するように「女性に組み込まれた大洋」と定義づける羊水内に生命そのものを形づくる事になる。
水滴のモチーフを使って、オガタは数々の異なった彫刻を制作している。有名な諺「水滴石をも穿つ」を覆すかの様に、水滴を持つ作品ではラテン語の諺とは全く反対の現象が生じる。即ち「石が水滴を刻む」と言える。
最近になり、水滴は流れとなり、波状形態を示しながら、幾何形構築体から流れが湧き出る。しかし抑揚の対照、きめ細かい形態の遊びの奥をよく見ると、これらの作品にも又、生命循環の隠喩が様式と表現法の成熟さを伴って持続されている。
事実オガタは水紋と題するこれらの彫刻作品の中で生活の流れと共に周囲環境に残される痕跡をも関係づけながら、以前取り組んだモチーフを異なった方法で快くまとめあげている。論理的に(形態とその表面の論理性において磨き上げたり、粗仕上げしたりして)実存する現実やその中間位相の矛盾を繕っている。
それ故、これらの幾何形態の蛇行構造の核をもってオガタは象徴的に停滞状態から動きがほとばしり出す様に(つまり死は新しい生命の泉である様に)意図しているのは疑いがない。しかし、又その生命は社会のイデオロギーの枠等に制約をうけたり抑圧されるものではない。つまり冷たくて役に立たない既成概念は常に活気的で抑制出来ない新生命と対比される。そして社会の非人間的理性は個人の表現の自由と純粋性を阻害する。
ただ、これらの解釈は文学的表現によりあまりに内容至上主義で歪曲される恐れがある。確かに彫刻の価値について、基本的要素の形成価値についての説明をしてもそれ程役には立たない。真の彫刻がその造形表現や空間表現の深さにより価値がはかられる事を考えれば、これら最近のオガタにより到達された、ここに紹介される作品は形態、技術の変化により真価が発揮され、高水準の制作能力と非常に洗練された美意識のもとに具現化された奥深くて多義の内部共鳴を伴った造形本質を持っている。
1982年 「OGATA SCULTURE」 ギャラリー イル サロット(コモ イタリア)個展冊子より抜粋 原文イタリア語
ジョルジョ・ディ・ジェノバ
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「OGATA 神話から自然へ」 1988年12月
ジョルジョ・セガート (1944~2011) 美術評論家・イタリア パドバ大学教授
約20年もの間、私はほとんど独占的に彫刻や造形探求の仕事(美術評論家として)に従事して来た。私はアトリエだけでなく、トスカーナ、パリ、ベローナ、トレビーゾ地方のブロンズ工場、大理石、トラバーチン、ピエトラセレーナ(砂岩)の石切り場、農場後や野外の工房に出かけて、若い芸術家や経験豊富な芸術家の仕事を見守って来た。そしてオガタ・ヨシンの作品のように「本物」の彫刻は本当に稀にしか見いだせなかったと言える。それは作品の明白さ、空間を獲得し、空間を作り上げる根源的な造形エネルギーの力強い表現であり、光を調節し、簡素な形態の中に材質が生かされており、神秘さが同在し、明白と象徴、紋章体と有機体、象徴体と物語体、厳かさがありながら、光の関係で非常に感性に富んだ総合彫刻となっており、個性の面から見ても「本物」だと言える。扱う材料の本質を把握出来る非常に興味深い芸術家であり、安定し洗練された技量でその持ち味を最大限に発揮出来る力を持っている。
直接訓練され、常に材料や道具と対話出来る職人の持ち合わせる自然な忍耐力や、あらゆる作業から学び、考えを形に適応させられるという信頼性を持ち、あらゆる障害を乗り越えて行く能力を持っている。
私達の最初の出会いはカラーラのアルベリカ広場に於いてであった。今や伝統となっている「広場の中の彫刻家達」というシンポジウムの会期中の事であった。それは石の表面を砕いたり、あるいは光沢を出させてその効果を研究しながら、石塊を激しく刻ったり、石を研磨し、たたき、ビシャン打ちをしたり、光らしていた時である。その時以来、私達は何度も会い、回を重ねて会話を交わして来ており、彼の仕事について記述したり、最近の仕事の中でオガタが生命循環の永遠性について奥深い感覚や、水と光が材質の上に生み出す運動の継続性により存在への信頼性を立証しつつ、多大な興味を示している分野の研究、探索、展開を追って見る機会を得た。
多くの若い日本人芸術家のように彼の専門家としての経歴初期は、「見る事」「発見する事」への、特に経験と緊張によって特徴づけられている。生国の文化(洗練された東洋の詩的で視覚的なものや、材質に対する独特な繊細さ)を、西洋のもので、より表現的で日常の緊張や渇望の中での人間の感覚的、存在的動因とより結びついた伝統的具象形態と比較対照している。
若干21歳で東京の新制作協会展に彫刻を発表し、1970年にイギリス、ヨーロッパ各国、アメリカ合衆国、メキシコを旅行している。
1971年9月ミラノのブレラ美術大学(彫刻科)に籍を置き、その後、ローマに於いて、大半の若い日本人具象彫刻家が目指す、エミリオ・グレコ教室で研究を続ける。しかし1973年、毎日のように、あらゆるところで大理石を「消化」し、堅固で豊富な石材を掘り出している彫刻の魔術的な世界の心臓部であるカラーラへの移住を決意する。カラーラでオガタは過去に体験した造形経験、薫陶、省察、体得した技術や暗示など全てを「吸収」して本物の芸術家として出発し始めた。すなわち自分自身の詩情を織り込んだ視覚的造形をするようになり、材質や形態との特異な関係を感知したり、熟知したりして、根本的には自然主義(放棄出来ない基準点であり頂生の価値でもある)で材質の秘密に入り込もうとする願望や、全てのものを生かして行く精神、思考、魂の一定したエネルギーと、動き、変貌、構築としての形態をもつ、オガタという人間に結び付いて行く、ある特殊な関係が、より明確に、より意味深い造形統合体の働きを通して特徴づけられて行く。
カラーラを制作の地として選んだ本当の理由は、材料のためとか、美術の歴史とか、著名彫刻家(ムーア、カッシェーラ兄弟、シニョーリ、ノグチ、ポモドーロ兄弟)が沢山いたから夢中になったのではなく、彼自身の感じ方、彼自身の詩的世界「材料を駆使」して作り上げるのではなく、「材料の中」に空間の抑楊や光を伴って築き上げて行く彼自身の熱望特性をはっきりと自覚していたところによる。
東洋と西洋、無と有、気体と個体、本質化、精神化する瞑想の間の表面的対立は、軽快さを得て空間となる。一方、物質化する瞑想は構築され記述され重厚さを得て空間を占める。
オガタは象徴的で、寓意的意味に富んでいて、造形の可能性と動きを持つ彼自身の形態を考え出した。すなわち、透明な物質、流動性に富んだ形態としての水、本物の「物質の素」「天地創造の神」の根源、起源である「水」を題材として形態を創りだした。その造形作業や、省略記号の完全利用は、確かに即時的ではなく、永い年月の習練を要するものだった。
「生命の循環」のモチーフを色々な形や方法を使って、その造形隠喩が持続して現れてくるまで、究明しながら追求を続けた。
ジョルジョ・ディ・ジェノバが記述しているように、子供の誕生に関し、彼、日本人と妻、イタリア人との間の「邂逅」の遺伝的産物として、心理的に体験した彫刻家により、恐らく彼の知らないうちにそれが明確にされているように思える。
暗示的な物の向こうに、多くの言外の意味、伝記的関連性を含んでいて、オガタの思考や実践行動に影響を与えている。生命循環の思想の中心に置かれている事柄に細心の気配りをしながら、成長力をすっきりした紋章形の中に探求しはじめた頃から、無限の生殖能力や、閉じ込められた形態の材質の変化、動きの中の有機体、多くの接合や切断、光の振動、「神語学」の参考、ある意味では日本の文化的、宗教的、寓意的経験の再摘要であり、ヨーロッパの「有機的」彫刻との融合方向に向かっている。
1974年から1975年代の作品は、中に詰まった造形塊の暗示的で、非常に強く、光の抑揚の中に、さらにより独創的に、1976年から1978年代の開放された形へと変化を加え刻み込まれてゆく。そこでは、塊は空洞と光を集めて造形構造となる。貫通させたり刻んだり、面を重なり合わせて、躍動的な成長を促し、形而上学的で言語置換性の豊富さを加え、形態の断続的な強固化を促しながら、そして厳しく総括され、そこから発生してくる要素の間に対話、比較対照等が生じる。深淵から発芽する花柄を通じて、花が咲き乱れるように、木製の台座から材質が発散したり変容したりする。そして自由闊達な空間に拡がって行く。量を獲得し屈折し、光を集め、反射する鮮やかな断面で、切れたり再結合したりする。継ぎ目の所は簡略化した形態を閉じ込めようとするのを妨げたり、優雅で、思考を刺激する躍動的な変形作用の知覚を引き立てたりする。
視線は官能的なまろみを追い、ふくらみを撫で、視点の焦点を邪魔しない彫刻の不鮮明で、変化に富んだ一面に、構築性を創り上げる角や、ねじれや幾何学形の上を追って行く。だから一度見ただけで、いつでも直ぐに分かる訳ではないのにもかかわらず、より重要な面は作品の循環により決定され、常に存在し、少しづつ現れてくる。根本的な思考から派生した他の局面に従って、
より明快に、官能、動き、神秘的な古典主義の間に生じる特殊な感覚により、もっと魅力的になっている。
事実、私はオガタ・ヨシンが基本的には並外れて優れた古典派的彫刻家であることは、以前に気付いていた。形態の比喩的で象徴的調和という点では、完全に東洋の古典主義であり、空間において建築やデザインとしての彫刻の均衡や均斉という点では、西洋の古典主義に通じている。
精神と植物、自然と思考、生物と象徴的抽象、繊細さと知的観念、古風さと繊細な同時代性は、彼の造形探求や洗練された自然主義の簡素で、純粋で、触覚的で視覚的な物語風の仕事の中に不思議にも一緒に溶け込んでいる。
大理石の艶ときめ細やかさは「張り詰めた」表面、形態の純粋さ、叙述的不完全さをもって、彼の繊細な性格に良く似合っている。それらの要素自体、空間として、内部世界、材質の捉えようのない変容の場、未来の存在として空間の中に解き放たれる。大理石が古くて固く相対的に繊細な木と対話している彫刻は、この関係(温度、色、固さ、触覚、嗅覚的暗示)の全ての含みに自由な遊びを与えながら、特別な意味と明瞭さを表しており、現実の中に一般化され溶け込んでいる人間や創造的知性、芸術家の創り上げたものの活動的存在を示すように石の中に織りこんだ生命の形としての「植物」に数多い象徴性をもたらしている。この対話は常に磨き上げられ、線や量の凝縮した形態を通して行われており、次第に叙情的な物語の中へ、現実的意識へ透明化していく観想的な思索の中へ、世の中の真実や現実の事柄についての特別な知的啓示のように心の奥底に生じ、沈殿し溶け込んでいる。
造形的量塊の表面に刻み込まれた水の流れは、まさに「生命の循環を変換した動きの印」となる。
大理石又は花崗岩の上を横切り刻み込まれている波状の痕跡は、1982年から1985年代のオガタの思慮深い探求へのテーマを持つ数多くの彫刻として現れる。それらは彼の詩的省察や技術的実験により、中小サイズの彫刻や公共的環境内に設置される大きい彫刻に於いても、装飾的作品としてよりも、環境の中に溶け込み調和するように考慮されている。
生命を与える材質に垂直に、水平方向に刻まれた流れは光の動きの中で息づき、磨かれた材質/空間と改良に向かって進行する暗示的な推移との間の関係を最大限に高めている。思考は躍動活力が彫刻的総括として明確になる時、動きの暗示が生命であり、柔軟性が思考であり、流れの行程が内的発展、更新される実存的な情熱であり、生命が経験の証しとして物事の上に残す痕跡のようにその軌跡が残る所に於いて「流れ」探索し、発掘し、強固になる(ダンテなら石と化すと言うだろう)
水のテーマについての省察が、大地と空を結びつかせる生命循環説を補足させるごとく、空間と意味の新たな征服へとオガタを導いた。すなわち水は蒸発し蒸気は水滴となり水に戻る。このように作者は仕事を始め、継続し「痕跡を残し」豊かさをもたらすように材質の上に垂れさがり、一時的に「継続」するかのように初めと終わり、又は落下と蒸発、物質化と昇華とも言える。「生命の循環の永遠性」をほのめかす方法で本体から切り離れた水滴を持って彫刻を完結させている。
落下する水滴や表面を繊細に滑って行く水滴を凝視することにより、オガタは彼の全知覚や生命についての意義や、実存的な動きや、ゆっくりと前向きに変化していく姿に感動を注ぎ込んで行く。そして水滴はもう一度養分と活動の泉のごとく活力を得て、同時にあらゆるしがらみを断ち歴史の大きな変化をもたらす。非常に念の入った技術的手腕がオガタの探求を支えている。この技術的能力は制作能力の誇示や洗練された快い装飾作業において終わる所がないが、それは材質や現代彫刻家の空間や構築に関する感動を表現する造形創作に対する一撤な深い愛情から生まれ出ている。表面の色彩質を浮き立たせるその艶は、洞察力や内的空間や材質そのものの堅固さについての優しい瞑想となり、生命エネルギー、動き、行動、精神の容器として、呼吸し、変形し、変化し、材質そのものを明示するよう再創造する。
オガタの東洋的自然主義は、全く詩的、寓話的であり、繊細さや表現としての純粋形態の探求や、空間の中の生命の漸次的な成長や、克服への到達にかなっており、よく融合している。材質の生体的運動の知覚的叙情詩は、単純形態への構築的な、そして直接、物語的な強い憧れをもたらし、比較される構成要素(吊り下げられた水滴)の量魂の遊びの中に象徴自然主義的な抽象化へと導かれる。又、水の再降下をほのめかしながら上方へ造形的量塊を押し上げ、並外れた壮大さをもたらす長い波動運動の中で開放して材質を生じさせる内部行程の律動、そしてその成長を促す。
記念碑的作品として、1988年に日本の宮崎科学技術館に設置された「水とサイエンス」、1987年フランスのディーニュ・レ・バンの彫刻シンポジウムで制作した「水の軌跡」、それに関連した形態で1988年カラーラ彫刻シンポジウムでオガタによって作られた彫刻作品等が見られる。
彼の芸術家としての個性や詩的繊細さ、大理石や花崗岩に直接取り組み、いかなる「近道」をも拒否する素晴らしく熟達した技術を持って、オガタは国際的な現代彫刻界において最も興味深い水準に位置している。東洋の形式的象徴や書体のそれのような非常に遠大な探求の道を、ブランクーシの純粋形態の探求と、アルプの有機的生命力の探求の道に結び付けて、波動もって生かし、光の反射、音、接触、魅惑的な透明さ(西ドイツ ドゥールバッハのスタゥフェンバーク・゙クリニックのために制作された非常に美しい作品「太陽」に見られる)を通して生かし、水が力を得て、継続、希望、未来の優しい象徴、そして新鮮な創造力を保証している存在の深淵や生活の迷路の中の、口では言い得ない知覚や暗示のすべてを「歌う」形態の中に表現している。
1990年 「OGATA」 BORA出版(ボローニャ イタリア) 原文 イタリア語
ジョルジョ・セガート (1944~2011) 美術評論家 イタリア・パドバ大学教授
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緒方良信の彫刻
1990年 井関正昭 北海道立近代美術館館長 (当時)
緒方良信の彫刻作品に見られる基本的な考えは「流れ」である。
しかし、それは単純な「流れるようなフォルム」ではなく、ある対象が動くときに、時間と空間が表す意味の豊かさを凝縮したフォルムといっていい。そこには、ブランクーシやアルプが考えた純粋な彫刻の原型という概念に従いながら、時間と空間の流れの一瞬の記憶を定着した様々なフォルムがある。そして、「流れの中に」「人と流れ」「流れを横切る人」「反流」といった題名の70年代の作品に見られるように、それらの中で作者は、自然と抽象とが相対律する一つの物語を生き生きと表現する。いわば、彼は捕えがたい動きが幾何学的構成の内部に結晶するところでフォルムを実現するのである。時間と空間の「流れ」が表す意味の豊かさとはこのこと指すといっていい。
素材に対する彼のアプローチは、単純な形態上の遊びが支配するのを避けるために、暴露したり隠したりする二重の姿勢であることが解る。フォルムを外に暴くのは西洋の理念であり内に隠すのが東洋の理念だとすれば、そこでは、フォルムは同語反復的にあらわれて可能な新しい調和を求める探求となるに違いない。この意味で緒方は西洋と東洋の二つの芸術的伝統の間の対話の可能性を探求する人に属する。とくにヨーロッパから見ると、彼の作品における凸面と凹面の間の継続の解決は、東洋の道教の象徴をとりいれているとされる。
80年代になると作品のフォルムに変化が現れる。70年代に見られたフォルムの「流れ」は、フォルム自体を構成する要素であったために、時間と空間の凝縮の一瞬にフォルムの固さを呼び起こす危険を残していた。だが、80年代から「流れ」は、フォルムの全体ではなく、一つのフォルムの中で明らかに「水の流れ」の記憶となって現れはじめる。そして、流れる水は無限の彼方に向かい、水は水の起源である「しずく」を必ず伴うようになった。当然のことだが、「しずく」は生命の起源を象徴する。「しずく」は流れとなって波状形態を示しながら周囲の幾何学的構築体から湧き出る。いつも表面が切り開かれ、傷つけられ、判読できない記号や筆跡によって不透明となった構築体の中で、「しずく」は、時には表面に沿い時には内部を通ってリズミカルに流れ、湧き出し、生命の終わりに向かって無限の水紋を作るのである。それは、生々流転が象徴する生命の流れとして宇宙の無限と輪廻の理念をあからさまにしてゆく。80年代の作品の殆どは「水の即興」と題されるのだが、それもまた水の流れと水滴の織り成す一つの事件の、予測できない多様な詩の表現である。
イタリアの評論家ヴィアナ・コンティが緒方良信について述べている中で、「彼の作品は何かがまた起こるに違いないということをしらされる」といっているが、恐らく「しずく」が暗示する生命の神秘のことをいっているのだろう。
長年イタリアのラ・スペーツィアに住み、大理石の町カッラーラで制作、ベルギーの黒大理石をこよなく愛する緒方は、素材と理念の調和を目指す彫刻家の一人として、ヨーロッパ国内で多くの個展を開催、国際彫刻展にも何度か受賞するなど、活躍が大いに注目されている。
1990年 「OGATA」 BORA出版(ボローニァ イタリア)
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2007年 「緒方良信 水滴 生命の根源」
Giorgio Segato
ジョルジョ・セガート (1944~2011) 美術評論家・イタリア パドバ大学教授
私達の惑星―地球―の最大の特色の一つは、水の存在である。大洋の水、海の水、川の水。水ある所に、命が生まれる。過去、現在、あるいは未来、いずれの世界の生命体を辿るにせよ、第一に探し求めるもの、それは水である。水こそは、命の源。地球規模でも、大小さまざまな社会集団のレベルでも、それは命の営みを続けるうえで欠くべからず要素であり、川や用水路や掘割の重要性が見失われ、あるいは、かき消されてしまったかのような場所であろうとも、変わりはない。むしろ、そうした場所でこそ、地域の特色の「担い手」である水、灌漑や肥沃化の手段である水をめぐる不便さや不足がより切実な問題として捉えられている。水は命をつなぐうえでも、砂漠化に抗するうえでも必要な資源。これまでの様に浪費するのではなく、平等に分配すべき、かけがえのない資源である。どのように水を調達するかという問題に私達(ヨーロッパや、とりわけ南北アメリカの人々)が直面するようになったのは最近の事であるが、世界には、水不足や砂漠化の進行と昔から戦い続けている地域(アフリカのサハラ砂漠やその周辺域だけでなく、ヨーロッパ、アメリカ、アジア、オーストラリア)があり、さらに都市部では、すでに久しい以前から水の配給制や取水制限が論じられている。
緒方良信は、こうした状況への問題意識をますます高めているが、彼が水や滴を不変のテーマ、創作の象徴として選んだのは、北極・南極の融氷が報告され、干ばつがますます頻繁に、しかも広い地域で見られる様になるずっと以前の事である。緒方にとって、水や、水を表象するものや、滴は、常に生命の・・・
象徴であり続けてきた。反面、水の欠如は、死を象徴するものだった。そして、良信が頻繁に表現する滴こそは、大小さまざまの彼の作品、すなわち、単なる彫刻と言うよりも、周囲の環境を活性化し、巻き込むインスタレーションを読み解くうえでの出発点となるものである。なぜならば、落ちてくる滴を前に、私達は、今まさに変化しつつある時間、連続性、形態をまざまざと実感するからである。
それだけではない。滴は、彫刻の残りの部分と共に緒方独自の特殊なカリグラムを形作る。より端的に言えば、それは「漢字」と呼ばれる言葉の一部となり、前や上に付けられて、表意文字の正確な意味を表す。
要するに、水の形態への緒方のこだわりは、特定の何かの反復や執拗な研究を意味するものでなく、エクリチュールのバリエーション、シラブルのエンブレム、、すなわち「漢字」のそのものであり、それはさらに、いくつもの方向、いくつもの意味へと進み、言語やフォルム、造形や詩想の流れとなり、同心円状の輪を広げながら、さまざまな記号、進路、泉、単なる水滴、あるいは落下の表象として大理石をかたどってゆく。
今まさにに落下しようとしている滴は、緒方の作品ではおなじみのテーマである。造形に際しては、下方に集まり官能的にふくらむ水の重量感が描き出され、エネルギーをいっぱいに蓄えた水滴の高貴さや、素材や人間との関係において形を変えて行く能力がクローズアップされる。そして、それは絶えず変化を続け、ひっきりなしに傷つけられ、養われる人間の内面性と内面性のメタファーとなる。
東洋文化においては、周知のように、重さや物質性を失う事は、純化、有意義な単純化、精神性の強化の過程を意味している。それに対して、西洋の文化においては、必要となるあらゆる精錬をほどこす獲得の過程を通して、豊かさに達するとされている。したがって、緒方にとって、滴は自然と素材の純化の要素として表現される。そうした素材に触れ、その上を流れ、その中から湧き上がる滴は、時にはメロディアスにうねりながら流れつつ、洗練され、調和のとれた関係を築く。そこには当然、自然の中にある事実や暗示が反映されているが、それらは詩的な象徴や、しばしばトーテムともなる祖型的記憶のレベルに高められる。それは心理の動きを説き明かし、認識の光をめざし、美と倫理に照らし出された「曼荼羅」をめざして突き進む精神エネルギーとして表象される。
水と緒方の対話は、今や30数年以上にもわたって続いており、きわめてバラエティー豊かな大理石、花崗岩、様々な石材を通じて表現されてきた。環境にふさわしいテクスチャーや色を持った素材が選ばれるが、彫刻それ自体のために選ばれる事は極めて少ない。緒方の彫刻は、周囲の何もない空間と、大小の違いはあれ、環境とのダイレクトな関係を必要とする。そして、まさにこの必要性の為に、造形という行為を空間自体の物質化として捉えなければならず、その事が作品にインスタレーションやプロジェクトとしての特別な価値を与える。そうしたプロジェクトは、装飾的なもの、都市的なもの、そうでないもの、あるいは記号化されたもの、環境や言語に依拠するものなどがあるが、いずれも実存的空間、関係性と内密性の空間、独自のより親密な空間をある意味で「測り」、その質を高め、しかるべき「責任を課す」。そこには、外面的な意味と内面的な意味、知識、新しい文化と深い文化、様々な願望が収斂する。
みなもと、泉、膨らむ水滴は、常に、花咲ける庭園を生み出す「ナトゥーラ・ナトゥランス
(産み出す力としての自然)」に声を与える要素となり、曼荼羅としての庭園、瞑想と(水と空を映しだ出す如く)深い思索の場としての庭園、特別な感性を備えた「歴史を超える」次元となって、時間と空間の中に広がりを見せる。
緒方の水の彫刻、「水の形」は、親密な風景を文字どおり「花開かせ」(作品がたびたび『蓮花』、『蓮心像』などと名付けられているのは偶然ではない),様々な入口を踏み越え、五感の『聖なる門』に分け入り、変幻する知、自己と世界の洞察という大海へと飛び込む。滴は緒方の思索と表象にダイナミックな姿を与え、緒方はそこに、命と思想を、途切れる事のないエネルギーの流れを、過去(遠過去、近過去)と近未来・遠未来の間で常にバランスがとられた無尽蔵の電荷を、記憶と希望の様々な要素を満載したフィギュールを感じ取る。滴、水の流れ、その落下、その流動性は常に、変容するエネルギーの奔流、普遍の宇宙の流れのはざまにある命と、危うくはかない存在のメタファーである。
滴は、緒方のエンブレムであり、かつまた、胚芽と純化、感情と観念の関わりによる変容と生々流転を表現するための手段でもある。既に述べた様に、それによって彫刻は空間を造形するものとなり、空間の中に言葉と物語を出現させる。マテリアルは言葉となり、図像となり、「漢字」、すなわち完成された多義的カリグラムとなる。
大作において***より小さな作品でもそうではあるが***緒方がめざすのは、明らかに空間を描き、「包み込み」、捉える事、そして、それにコミゥニケーションのための形と、同時に建築的な内奥から動き、流れるような軌跡を描き、水を連想させる動きを示し、風景の韻律やフォルムとなる。風景の中の音階、ニュアンス。きわめて音楽的な意味においても、それはある時には水平に、ある時には垂直に、はっきりと周囲に働きかけながら、リズミカルなフィギュールとなって、人間と環境の関係、そして、「ナトゥーラ・ナトゥランス」や多くを占める人工的自然との関係を描き出す。
つまり、緒方は始めにあった根本的な自然の制約から解放され、精神面、発想面(マインドスケープ)でのあらゆる経験を、完全に内面化された、象徴的、心理的、哲学的、倫理的な風景へと還元する。その造形的な連なりは、認識を制御するうえで必要な、そして重要な瞬間となる。そして、そうした認識は、一つの原点、一つの発想から階段を踏んで発展し、広がってゆく。すなわちそれが、命の、変容の、成長のみなもとである滴であり、そうした瞬間は、本源的な感情、様々な詩想、たゆみない日常の意図において、本格的な参加を求める。そしてそれが、芸術家の作業や行為の質を高め、持続させ、命を吹き込むものとなる。したがって、彼の大規模な作品もまた、生活空間や人間関係の場や環境の不法占拠がもたらす、過去偏重の空虚な一切のモニュメント主義(愚劣にもアーバン・ファニチャーと称される、あまたの現代彫刻がそうであるような)とは無縁であり、むしろ、認識や、感性と思索の啓発のあゆみの証し、痕跡、足跡として提示される。それらは、立ち止り、静謐のなかで黙想し、内なる声に耳を澄まし、自然に対するまなざしを磨き上げる上で、有益な示唆と重要な契機を与えるものである。
卓越した技量とオリジナリティあふれる創作力の持ち主である緒方は、水の動きを際立たせ、特に落ちてくる滴に焦点を当てた作品を生み出す。滴は、多くの場合、素材の上に落下しながら、様々な形をとり、痕跡を残し、落下や流れの中で、垂直あるいは水平に軌道を描く。また、天と地をつなぐ要素として、命を育むパワフルで抗しがたい初源的エネルギーとして、大地や石、大理石や花崗岩の姿を変え、あるいは、様々な形態を創りだし、豊かな大地を育むエネルギー(水が育てる花や植物のメタファーとしての一連の『蓮』作品)の象徴、流れるもの、すなわち、過ぎ去る時間、事物の変化、水が生み出す変容や変成の象徴としての姿を示す。緒方は「すべては流れる」と語り続けている様に思われる。それはヘラクレイトスが唱えた「パンタ・レイ(万物は流転する)」に似るが、より正確には、すべてをエネルギーの観点から捉える東洋哲学、神道や儒教の考え方に基づくものである。エネルギーは絶えず生成し、生まれ変わり、限られた者の精神の啓発としての「悟り」として、あるいは、感情のリリカルな抑楊としての「俳句」として認識される。それはまさに、素材の上に滴ろうとしている滴の形態であり、その内部の重さは下方に向かって形をふくらませる事で、すぐに、その動きの象徴的・物理的な意味を際立たせ、時には変化と豊かな再生のさなかにある様相を指し示す。水と石。フォルムと対話を交わし続けるこの二つの始原的要素は、緒方の世界観を伝えるシンボルであり、自然のエネルギーと、尽きる事のないその活力と再生の力の象徴でもある。
緒方良信の展覧会は、命の讃歌であり、それに伴う単純な儀式のための祝典の祭壇への讃歌であり、普遍的養分としての水の再発見***コミュニケーションと物質と文化の通路としての、水の道の再発見***に向けての讃歌でもある。そうした水の道は、地中海と日本海をも結ぶ。そして、様々な形態の起源として、「風景」の大小様々な要素となって、空間・環境との関係においても、素材の質においても、我々の知覚力を広げ、高める。
緒方良信は、世界のあらゆる場所で算出されるじつに多種多様な大理石、石、花崗岩を用いてきたが、その背景には、大理石や花崗岩や石のルーツもまた、民族の文化に根ざしているという確信がある。魂の奥底で刻まれるそのリズム、ビジョン、触覚、原風景、そして最も強く感じ、愛する色彩の中に・・・・。
創作活動は今や長きにわたっているにもかかわらず、そこには反復は存在せず、実り豊かで、変化に富んだものとなっている。一連の作品は、大理石そのものの希少性や、制作や取り扱いのむずかしさにおいても貴重なものとなるが、緒方は、そこから、テクスチャー、きめ、柔軟性、色彩、さらには、素材が秘める構造上・建築上の可能性を巧みに引き出す。少なからぬ数の彫刻が、美的な装飾要素というよりも、建築構造として、構造的な記号として、風景に溶け込む。その実例としては、早くは1977年のペルシャ産赤トラバーチンを材料とする『対話』、カラーラのきわめて純粋な大理石による1978年の『対話』、スタトゥアリオ大理石による1980年の『水の飛翔』、1982年のベルギー産黒大理石の傑作『水紋』、90年代初めの『蓮心像』の連作、ペルシャ産赤トラバーチンによる『水の形10』、一つ、二つ、三つの要素による流れを垂直に展開した、水の『形』、『道』、『紋』といった大小様々の連作(中国産のグレーの花崗岩で創られた2003年の『水の道』10.25×4×1.4メートル)、1995年のベルギー産黒大理石の力作『聖なる門』、1988年のラグーナ赤大理石の『赤い門』、1999年の『聖なる門』の魅力的な様式美、様々な素材を用いた1998年の『岩の滴』の起伏のある風景、イラン産赤大理石による2002年の『太陽の光』、ポルトガル産ローザ大理石で作られた2003年の傑作『蓮花』、さらには、緒方にとって流れる水がいかに不変のテーマとなっているかを物語る、様々な噴水などが挙げられる。
緒方は大理石の色の陰影や節目を気にせず、むしろそれらを対話や象徴的な物語、象徴の装飾の一部としてしまう。空間感覚は、滴の落下とその結末***そこから生まれる様々なタイプの水紋、軌跡、動き***を予期する心の動きによって生み出される。そして、水がどの様な形でもとることの出来る存在であり、あくことなく刻み、水路を掘り、波紋を広げ、大地の中心に侵入し、そこで様々な気性を呼び醒ます存在である事を実感させる。(1994年の『水の形7』、ペルシャ産赤トラバーチンによる1995-96年の大作、燃える『太陽』、1995年の『蓮心像12』、カラーラ産スタトゥアリオ大理石による『水の形24』、美しいペルシャ産赤トラバーチンを用いた2004年の『水の形48』と『47』、水紋、流れ、奔流を表現した一連の大型作品、光と滴で肥沃さを表現する2006年の『再生』の象徴性、さらには、注目すべき最新作(2007年)である不透明なペルシャ産トラバーチンによる『水紋CS207』の動き)。最近ではますます『マインドスケープ』、『心の風景』となりつつあるメインテーマの作品『水の形』は、水によって変貌し、広がりふくらみ、みずからの姿を変える無尽蔵の自然の生命力のシンボルかつ契機として緒方が捉え、成形するフォルムのダイナミックな側面をクローズアップする。実際、人間と、その心理・精神世界と、外部世界よりも広がりうる内面世界と、自然の中の自然と完璧な調和を保ちながら、ひとしずくずつ蓄えられる経験、智恵、認識のメタファーである。要するに、緒方の作品は物質を作り出す仕事においての実存的かつ精神的なダイナミズムの必要性を具現している。それは一方では、「基盤」となる造形要素、すなわち、断片や、細部や、安定した幾何学的形態をとる滴や、言語やシンタックスの要素を生み出す新しい手法を提示するものであり、他方では、自らを空間の「連帯性」とし、内省のための無限の空間となるような彫刻の実現を目指したものである。こうして、緒方の作品は「統合的」かつ「統合された」存在となり、その中では、内面の空白や周囲の空白に即したバランスが、水や滴を支える自然の秩序と、新たにそれらを「想像し」、創作活動を自らの初源的母体に帰着させる精神の秩序との双方によって、同じように裏付けされている様におもわれる。緒方を導くものは、大理石と言う素材に対する緊張感のある共感である。明確な意図により、大理石が内蔵する曖昧で、多面的で、多様な性格、エネルギーの波動は、世界に対して新たな姿でよみがえった「存在」の焦点となる。そして、彼の作品は宙にある空間として提示され、「行動する」すなわち「感じる事」***逆もまた成り立つ***の躍動の軌跡となる。
「OGATA」 2007年 Grafiche Antiga,Cornuda 出版 (トレビーゾ イタリア) 原文 イタリア語
ジョルジョ・セガート (1944~2011) 美術評論家 イタリア・パドバ大学教授
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「オガタ・ヨシン」
2007年 フィリッポ ロッラ (イタリア美術評論家)
オガタ・ヨシンの大理石彫刻は彼の過去の奥深い記憶に刻まれた感動を盛り込んだ彼自身の運命への探求を映し出している。
過去のことが未知のことを露わにするかのように彫られ、新しい明かり、新しい時期のもとに引き戻されたかのように新たに生き始めた記憶。
彼は、自分に大きな影響を与えた幼年時代の記憶を熱中して語る。
彼は、自分の国・日本が水と泥の滴から生まれたという伝説に魅せられた。
天上の神々が大きな鉾で液体状態の世界を掻き混ぜ、鉾を引き上げると滴が大洋に落下し日本の国をなす島々を形作る。彼は、たった7歳の時初めてお祖父さんから聞いたことを笑いながら、とても愉快に強調する。さらに微笑しながら日本の古い歴史についての本を多く読んだり、それについての多くの絵を見たりしたと言う。
彼は、もう一つの彼の人生の重要なエピソードについて述べている: ある日、学校で美術の教師からロダンの彫刻が載った本を見せられ、それらの写真にとても感銘を受けて、「私も彫刻家になりたいと」と呟いた。17歳でまだ将来について、はっきりとした考えを持っていない時だったが、官能的で強い形態を持つロダンの彫刻は私に奥深い影響を与えた。それはほとんど私の芸術的将来への前触れだった。
成長するにつれて、アメリカ、ヨーロッパにおける見学、生活体験に興味を持ち始めた。その旅行の費用を稼ぐため、彼は太平洋そしてインド洋で操業する大きな漁船の船員として働いた。またしても水が彼の人生の、日常の身近かなものとしての強烈な要素が存在した。
無意識のうちに、彼は水の色彩、水の匂い・香り、水の動きの中で生きていた。
1970年充分な費用を稼いだ後、彼は彼自身の「大切なもの」を捜しにロンドンに向かって発った。有名な大英博物館に保存されているヨーロッパの文化やエジプト文明について学んだ後、彼はヨーロッパ中の著名な芸術、文化の首都見学に旅立った。
彼の芸術行脚は大西洋を横切るアメリカ合衆国、マヤ文化に魅せられた中央アメリカ、メキシコと、次の旅によって中断された。
探求と瞑想の時期の後、ヨシンはヨーロッパ、イタリアへ戻った。
ミラノ、フィレンツェ、ローマに滞在しながら、英国・ロンドンへ再び戻った。
もう一つの、勉学と仕事の実り多い時期の後、彼は自由な精神を持って、ロンドンで稼いだお金で買った自転車で、魅惑的なローマの町までの20日間の旅を続けた。
「本当に忘れがたい旅だった。」と彼は言う。「とても素晴らしかった。この20日の間、宇宙と一つになった感じがした。」 ヨーロッパと/またはアメリカを海岸から海岸へ、一つの列車から次の列車へ、ヒッチハイクから次のヒッチハイク、又は自転車で横切った。サル・パラディーソのような他の人物達のように。
ヒッピー運動が流行した時期だったが、オガタは多分、旅途上で生きること、生存することを学ぶビート世代の人々により似ている。
ミラノ、フィレンツェ、ローマそして最後に1975年に卒業したカラーラの美術学校に通うことにより最高潮に達した彼自身の能力の発見に捧げた生涯。
幼年時代から水、伝説と旅に魅せられた放浪する芸術家。
これらすべての感動の時期が、より芸術家‐旅行家又は彼の日本の生まれ故郷・都城の実家の料亭で優しく優雅に動き回るのを見た芸術的‐官能的な芸者達のそれに似た彼の自由精神を作り上げた。
「OGATA」 2007年 Grafiche Antiga,Cornuda 出版 (トレビーゾ イタリア) 原文 イタリア語
フィリッポ・ロッラ